⑤ 岸本忠三先生の成功 (1の詳細⑤)

大学知財・産学連携関連の仕事を10年近くしてきたのですが、不勉強もあり、岸本先生の知財の話は大阪大学に着任してから初めて知りました。恐らく発明当時は、現在の大学知財システムではなかったので、発明が大学ではなく個人と企業の帰属となり、大学知財収入にはカウントされなかったからだと思います。

しかしながら、この例は基本的に大学の基礎的研究がベースになって企業との長年の共同研究開発により、リウマチ等の難病の治療薬として製品化されたものです。売上高とか波及効果を考慮すれば、産学連携の最も成功した事例として、もっと多くの産官学の研究者が、知るべき産学連携の事例ではないかと考えます。この詳細に関しては、以下の書物等で知ることができます。

  1. 岸本忠三「免疫難病の克服をめざして」、pp.52-100、2012年11月20日発行(中山書房)
  2. 岸本忠三「私の履歴書」、2003年9月24日発行(日本経済新聞社)
  3. 大杉義征「国産初の抗体医薬トシリズマブの開発」、産学連携ジャーナル2013年4月号
  4. 大杉義征「新薬アクテムラの誕生」科学ライブラリーシリーズ205、2013年3月7日発行(岩波書店)


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簡単にいう話ではないかもしれませんが、岸本先生は、もともとは臨床医であり、治らない病気が数多くあることを体感されていて、一方、基礎研究もされたので、体内でのいろいろな現象を分子・遺伝子レベルで考えることができたと思われます。このように両刀使いができること自体が、成功要因の一つとも考えられます。

産学連携では、大学では基礎的研究の深さ、テクノロジーの高さが求められます。一方、産業側は、臨床上のニーズに向かって投資費用対効果を図りながら、その研究開発について社内の説得を続けて行かなければなりません。また研究開発の成果を独占するために特許出願戦略も重要になってきます。

基本的には、大学と産業側が相互に「餅は餅屋」ができれば良いのですが、人間や企業にはそれぞれの欲・主張等がありますから、なかなかうまくいかない産学連携の例は数えきれないほどあります。

岸本先生へのインタビューで分かったことですが、先生は大学の発明委員会に届け出て承認を得た後に、学会誌への投稿原稿を企業に預けて、企業がその後使いやすい特許出願ができるような配慮をされていたそうです。正直にいえば、大学研究者と弁理士のみで作成した特許は、通常企業側は使いにくいものになっていることが多くあります。そういう点で岸本先生が、企業の製品化研究の要になる特許出願戦略を、餅は餅屋に任されたことも成功要因の一つではないかと考えられます。

また、研究の過程におけるIL6とその受容体の結合にgp130という分子が関与しているという製品化の重要な標的に関する基礎的なことを発見したのは、大学の研究でなければ、なし得なかったことです。

企業の開発責任者の大杉義征氏(一橋大学イノベーション研究センター 特任教授(元 中外製薬株式会社トシリズマブ研究開発リーダー))にもインタビューしたのですが、この製品化の成功は、お二人の巡り合わせでしか、あり得なかったのではと思われるような出会い(時期、研究分野、幼少期の遊び友達)と、お二人の前向きな忍耐強い努力が、そのような運をよんだのではないかと思っています。


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〔文責:知財戦略コーディネーター 前田裕司〕

この記事に関して、質問やコメント等がございましたら、前田知財戦略コーディネーター(akira-ipsc@ml.office.osaka-u.ac.jp)までお寄せください。

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